博士号の社会的意義

 

近年、国内の社会的風潮として、科学技術立国を支える高度な専門力を確保できるように博士学位(博士号、ドクター)の取得が推奨されるとともに、社会での博士人材の活躍が望まれています。研究機関はもちろんのこと、企業活動でも博士の能力活用が期待されています。ひと昔前なら、博士学位取得者は“専門は深いが視野が狭い”と揶揄されることが多かったように思いますが、そのような見方は昨今、大きく変貌してきています。

近年、博士取得者の技術力・発想力が、企業の経営戦略を大きく変えた例は枚挙にいとまがありません。卓越した専門力と勘所により、他社を圧倒する技術を粘り強く創り出すのは、言うまでもなく博士の仕事です。圧倒的なオリジナリティと先進性により、怒濤の展開に持ち込むことが理想ですが、そうはうまくいかなくても寝技を含め、合わせ技で何とかゲームメイキングするのも博士取得者の底力と言えます。博士研究者と企業の求める専門性をどのようにマッチングさせるかという課題は残るものの、それらが整合すればとてつもなく大きな推進力・突破力になることは間違いありません。

 

総合研究

総合研究棟を臨む(青葉山キャンパス)

論文化は、知識体系を構築する手段

 

昨今、企業内のエンジニアには専門技術だけでなく、技術経営に関わる高度な判断能力が求められる機会が増えています。例えば、企業の組織・活動のグローバル化により製品の価値・特徴・製造技術・販売手法のコモディティ化・平準化が進む中で、技術リーダーには短期的な経営リソースの選択・集中だけでなく、長期的にも差別化戦略(独自性)を見いだせるように、技術のダイバージェンス(拡がり)を確保することが求められます。平たく言うと、社会変化の予想ができない不透明な状況で、逆ベクトルのアンチテーゼや平行技術の獲得による分野の拡幅により、本命が外れた時の保険も確保する戦略です。また、企業間の不必要な競争・消耗を避けるニッチ戦略も、時として有効な手段として選択しなければなりません。戦略の取捨を行うには、技術の本質と将来性を見抜くための価値観の養成が必要です。そのような洞察力を養う上でも、博士課程での研究教育は重要な役割を担っていきます。昨今、国内産業の問題点として、部品などの要素技術は強いが、それを実社会に役立てるシステムを提案する力に劣るため、せっかく日本発のシステムが構築されてもすぐにガラパゴス化してしまうとの指摘を受けます。国際感覚という大局観と、先や本質を見通す想像力が強く求められる時代であると認識しています。

 

そこで本研究室では、修士課程だけでなく、博士課程への進学を推奨しています。さらに、企業の研究者・エンジニアの方々には博士課程への編入学(社会人コース)を案内しています。博士課程では、論理的思考に磨きをかけるとともに、企業でも到達できない先端技術を指導します。また、技術の基本をなす概念・エッセンスを十分に理解できるようになると、専門分野を包含する高所大所から、1つの技術を冷静に見極める能力が獲得できます。これにより幅広い技術分野を俯瞰できるようになり、価値の基準や判断も自ずと変わってきます。そのため、博士学位を取得することで大学(アカデミア)の研究分野のみならず、産業界(インダストリ)の開発業務において、先導的役割を担う能力を獲得できます。そのような人材に育てば緻密で周到な計画を作り、それらを大胆に行動に移すことも可能になります。

 

海外の企業でも、技術の企画・調査部門はもとより、企業間の交渉を博士取得者が担うことが多いと言われています。交渉先に劣らない高度な知識と専門力を有するともに、最短経路でスマートな戦略や解決策を打ち出せるためです。最先端研究を競う国内外の著名研究機関においても、博士学位の保有者数を研究レベルの指標として用いています。そのため博士学位は、研究者として専門分野を担って牽引するためのライセンスであるとともに、世界に通じる一流の企業エンジニアを目指すためのパスポートと言えます。

 

地衣類のキウメノキゴケ(青葉山キャンパス)

論文体系と生物系統は多様性こそ本質