これまでの研究の概要 藤掛英夫 今後の情報化社会を見据えて、感性・認識・生理などの人間科学に基づき、先導的な情報メディアデバイス群を創出しています。昨今のスマート情報化社会は、多くの人・物が繋がる通信ネットワーク(IoT)を基に進展しており、それに伴って流通する情報の増加と多様化が進むため、人に優しく効率的な情報授受を可能とするヒューマンインタフェースが求められる。人の感性は、過去の経験・記憶との照合・整合過程(無意識の脳内情報処理)に基づき、生活環境で慣れ親しんだ自然な情報形態を認知しやすい。また、手間がかからず人の思考・行動を制約しない自由度・利便性・簡潔性を好み、それらが満たされないと違和感やストレスとなり、デジタルデバイドに繋がる。そこで、人と情報を優しく繋ぐ情報メディアデバイスの研究・開発を精力的に展開しています。その一環として、分子配向を伴う液晶・高分子・ゲル・色素・有機半導体などの有機材料(ソフトマター)の多様性と複合化に伴う機能開拓により、フレキシブル動画ディスプレイ、電子ホログラフィ立体表示用超高解像度光変調器、撮像用適応光学フィルタ、高周波無線伝送路制御デバイスなどを開発して、高画質映像の入力・伝送・出力にわたるデバイス基盤技術群の構築に取り組んでいます。それらは、今後の情報システムの深化と拡大に貢献し、情報環境の再構築を促す可能性があります。 [1] フレキシブル液晶技術の提案・構築 ディスプレイの携帯・設置・収納・意匠の自由度を飛躍的に拡大するフレキシブル化技術は、新たな視聴形態やインタフェースを創出するため、情報ネットワーク社会を先導する次世代技術として待望されています。このフレキシブルディスプレイでは、表示サイズが大きいほどメリットが際立ち、大画面化により高臨場感を訴求する映像メディアと整合性が高いと言えます。種々のフレキシブルディスプレイの中でも、昨今、有機EL技術が注目されていますが、液晶方式では確立された作製工程・設備を転用できるため、ディスプレイの大画面化・高精細化が早期に実現される可能性があります。また、液晶は電子励起状態を使用しないため高度なガスバリアを必要とせず、プラスチック基板を用いても表示動作の安定性に優れるという特徴もあります。 そこで、静止画用途の電子ペーパーでなく高画質の動画表示を可能とするフレキシブルディスプレイの重要性を早期に指摘するとともに、有力な実現技術としてプラスチック基板を用いたフレキシブル液晶ディスプレイを提案・試作してきました(1998年から学会発表、2001年より外部展示)。特に2002年には、丸められる電子ディスプレイの開発に初めて成功しました。さらに、周辺分野を含め総合的に要素技術の開発を進め、数々の基盤技術を構築しました(2013年に電子情報通信学会エレクトロニクスソサイエティ賞を受賞) それらの取り組みの中で、柔軟な基板を接合して安定化するスペーサ構造(液晶中での高分子合成に伴う壁・スペーサ繊維構造および高精度ローラーナノインプリント加工による凹凸嵌合スペーサ、前者に対して2001年に映像情報メディア学会藤尾フロンティア賞を受賞)、高画質の動画表示に適した高速な強誘電性液晶の階調化技術(非配向性高分子の分散に伴う微小液晶ドメインによる面積階調および配向性高分子繊維の分散による液晶の連続配向変化に基づく、2001年に日本液晶学会論文賞を受賞)、大画面化に有用な液晶層の印刷形成法(フレキソ印刷およびラミネート工程、映像情報メディア学会丹羽高柳賞論文賞を受賞)、カラー表示パネル(マイクロカラーフィルター方式、フィールド色順次カラー方式)、アクティブ駆動のための薄膜トランジスタ技術(poly-Siトランジスタおよび有機トランジスタ、後者に対しては2005年および2009年にそれぞれ映像情報メディア学会藤尾フロンティア賞および映像情報メディア学会丹羽高柳賞論文賞を受賞)、柔軟構造のバックライト(LEDの直下照明方式、導光板方式)、およびプラスチック基板の反射型デバイスなどを実現しました。これらを活用して、丸められるほどの柔軟化、デバイスの大画面作製(A4サイズ)、およびアクティブマトリックスパネルのフルカラー動画表示(対角5インチ)に成功しました。 液晶ディスプレイは、光源・光変調の機能分離によりシステム設計の自由度が大きいため、これまで透過型、反射型、半透過型、投射型などに多様に進化して、ディスプレイ分野で主要な地位を占めるに至りました。その一方、ディスプレイ製造技術・産業の成熟化が指摘されており、今後のフレキシブル化は、液晶ディスプレイを発展させる有力技術と考えられています。特に高輝度・寿命フリーが求められる今後の車載用途に応用が期待されています。 なお、プラスチックフィルム基板を液晶・配向高分子複合膜で接着するフレキシブル化技術は、屋外光を印加電圧で調光できるスマートウインドウの開発にも貢献しています。フレキシブル液晶を既存のガラス窓に貼るだけで、容易にプライバシー保護や省エネ化が図られるためです。 [2] プリンタブル/フレキシブルエレクトロニクスへの挑戦 映像情報サービスを含め豊かな情報環境基盤を構築する上で、生活空間に寄り添うフレキシブルエレクトロニクスは有力な手段になります。そこで、超柔軟化に有利なフレキシブル有機ELディスプレイを大画面化するため、塗布・印刷形成プロセスを中心に試作研究を推進しました。さらに有機ELを高精細に駆動するため、高移動度な有機トランジスタや酸化物半導体トランジスタ、それらの低温形成プロセス(直接形成法および転写形成法、後者に対して2012年にIEEE IAS Technical Committee Prize
Paper Award for The First Prize Paperを受賞)の基盤研究を進展させました。 その一方、有機半導体の移動度を向上させて応用の可能性を拡げるため、液晶溶媒を用いた有機半導体の形成法を提案して、配向制御型の大型単結晶成長を実現しました。また、自己組織化を有する液晶性半導体(ディスコティック液晶)の分子配向を過冷却現象により固定・安定化することにより、良好な移動度が得られることを明らかにしました。 こうした機能性有機材料の塗布・印刷形成とフレキシブルデバイスへの応用は、昨今、活性化しているフレキシブル/プリンタブルエレクトロニクス研究の先駆け的な取り組みになったと考えます。 [3] 有機材料の機能開拓 新たな光/電子機能の発現が期待される有機材料(ソフトマター)をオプティクスやエレクトロニクス分野に応用するために、分子配向現象に着目して基礎研究を進めました。種々のソフトマターの中でも、低分子の液晶は分子配向に自己組織化を伴うとともに、電界印加で配向が変化するため、機能性有機材料として魅力的です。また高分子材料は構造が安定でる一方、外力などにより分子を配向させることも可能です。それらの性質を考慮して液晶と高分子で複合膜を形成すれば、従来の液晶デバイスでは得られなかった機能性を創出することが可能になります。 そこで、液晶と高分子の光重合相分離過程において高分子形態の変化機構を明らかにするとともに、その応用に向けて多様な分散構造の制御を試みました。その中で、分散形態が過渡的で非平衡状態であっても、強い紫外線照射による急速な高分子化により、その形態を安定化できることを明らかにしました。そのような原理を踏まえて、高分子中に形成されるネマチック液晶の小滴を微小・均一化することで、高解像度の光変調デバイスを試作して高輝度・高精細プロジェクタに応用しました。また、2値メモリの機能をもつコレステリック液晶を微細な高分子の泡構造で分割することで、面積階調のメモリ機能が得られることを明らかにしました。さらに、その発展研究として、高速応答の強誘電性液晶内に微小な高分子繊維を分散することにより、液晶分子のスメクチック層構造と高分子が相互作用を起こして、中間調メモリが発現することを見いだしました。これらの高分子形態制御とディスプレイ応用の研究により、2003年に東北大学より博士(工学)学位を取得しました。 その一方、液晶・高分子複合膜の可能性を追求するため、高分子の分散が液晶の温度相転移に及ぼす影響、コレステリック液晶のねじれピッチに及ぼす影響(電子ペーパー用途)、ゲストホスト液晶(2色性色素を含む)の色素析出に及ぼす影響(反射型ディスプレイ用途)などを明らかしました。さらに、高分子と液晶の強い相互作用を活用して、延伸した多孔質高分子膜による液晶配向の制御(基板配向膜は不要)を試みるなど、学術的な基礎研究にも取り組みました(2004年に映像情報メディア学会 藤尾フロンティア賞を受賞)。 また、高速応答で広視野角な次世代液晶として期待されるブルー相液晶デバイスにおいて、基板上の高分子配向膜やねじれピッチが、コレステリックブルー相の発現温度範囲に及ぼす影響を明らかにしました。 [4] 電子ホログラフィ立体表示用の超高解像度空間光変調素子の探究 既存の平面ディスプレイの解像度が視覚の限界値に達した昨今、さらに視認性や臨場感を高める技術として立体表示が注目されています。各種立体方式の中でも電子ホログラフィは、既存の両眼視差方式と異なり、奥行き認知機構に矛盾がなく視覚疲労が生じません。そのため自然で理想的な表示が得られ、裸眼立体の直視表示はもとより、ニアアイ用途(AR/VRメガネ)にも応用が期待できます。そこで、視覚の有効視野に相当してデスクトップ作業環境で実用的な30°の視域角(視野角)を実現するため、光ナノインプリント製法で形成した微細な高分子隔壁により、画素間の漏れ電界や液晶弾性の伝搬を遮断することで、1µmピッチの超微細画素の独立駆動に初めて成功しました。さらに、両極性電圧駆動により漏れ電界の影響を抑制できる強誘電性液晶薄膜を導入して、液晶の0.7µmピッチ駆動を確認しました(2024年)。 また、微小画素化に伴う液晶配向乱れが、再生立体像の画質(輝度、解像度、ノイズなど)に及ぼす影響を光学シミュレーションと実験で明らかにし、超高解像度液晶空間光変調器の設計指針を先駆的に構築しました。電子ホログラフィで高画質の立体動画表示が実現すれば、表示位置をデータの書き換えだけで自在に変えられるため、通信・放送・娯楽などの情報サービスはもとより、医療・産業支援など幅広い用途に応用が可能となります。 [5] 撮像用適応光学デバイスの開発 撮像システムでは、被写体の自然な階調・色合いを忠実に再現することを基本としています。しかし、イメージセンサで映像情報を取得する場合、入射光強度のダイナミックレンジの制限や3原色光のバランスなどで、画質が低下する場合が少なくありません。その一方で、情報通信ネットワークや高画質ディスプレイの進展に伴って、豊富な映像コンテンツが求められており、そのためには高画質の映像コンテンツを効率よく制作することが必要となります。そこでコンテンツ制作を支援するため、ビデオカメラに取り付けて撮影光の性質を自在に制御できる液晶光学フィルターを創出しました。その取り組みでは、映像撮影においてガラスや水面などのから不要な反射光を除去するため、偏光吸収軸を制御できる可変偏光フィルターを開発しました(1998年に映画テレビ技術協会奨励賞を受賞)。また、異なる色温度の照明環境の下でも、映像が不自然な色調にならないように、色温度を自在に変換できる液晶フィルターを考案・開発しました。これらの適応光学デバイスは、実際のテレビ番組制作に活用されました(2001年に電子情報通信学会論文賞を受賞)。 一方、スタジオ照明に求められる高輝度放電灯を調光するため、耐熱性の液晶シャッターを開発してテレビスタジオで実用化しました(1993年および2001年にそれぞれ映画テレビ技術協会協会賞および照明学会論文賞を受賞)。これらの先駆的な取り組みは、画像出力に限られていた液晶の応用分野を入力分野にまで拡大するものです。 また、将来の高密度光記録システムを実現するため、光位相変調器を開発しました。さらに2次元での光情報処理を実現するため、光画像の波長変換やしきい値処理などを可能とする種々の空間光変調器を提案しました。 [6] 無線通信用高周波伝送路制御技術の創出 細長い分子形状の液晶は、光領域の屈折率のみならず、マイクロ波・ミリ波・テラヘルツ帯の周波数帯の誘電率にも大きな異方性を示します。そこで5G以降の大容量高速無線ネットワークの構築に向けて、液晶分子の配向変化を活用し、マイクロ波・ミリ波の位相を超広帯域で制御できる厚膜液晶の移相器を試作し、その基本動作を確認しました。さらに、厚膜液晶中に配向高分子を分散して液晶配向を安定化することで、高速な応答時間(立ち下がり特性)を得ることができました。このような機能を用いれば、送信用のフェーズドアレーアンテナの指向性や、ビル影など見通し外通信障害を克服できるリフレクトアレイの反射・散乱パターンを、実時間で変えることができるため、どこでも通信を可能とする無線環境の構築に有用です。 また、ラジオ放送設備の敷地難の解消や放射効率の改善に向けて、送信アンテナを平地から山岳に移すための理論的検討(計算機シミュレーション)や縮小モデル実験を行い、その有用性を明らかにしました。 |